「決断が怖い。」
応募ボタンの前で止まる。
発信しようとして、下書きで終わる。
転職、移住、挑戦。どれも“最後の選択”のように感じてしまう。
でも、冷静に考えるとおかしい。
なぜ応募が、人生の最終判断になるのか。
決断が怖い理由は?
決断すると、責任が生まれる。
選んだ責任。
選ばなかった選択肢を捨てた責任。
多くの人はここで止まる。
しかし、少し分解してみる。
本当に怖いのは「決断」そのものだろうか?
違う。
怖いのは、その後の“物語”だ。
・失敗したらどうしよう
・間違った自分になったらどうしよう
・やっぱりあっちが正解だったらどうしよう
つまり私たちは、未来の想像に怯えている。
現実ではなく、想像に。
本当にその決断は人生を左右しますか?
ここで定義を置く。
人生を左右する決断とは何か。
・法的に戻せない
・身体的に戻せない
・極端に大きなコストが発生する
こういうものだ。
では、応募はどうか。
ブログ公開はどうか。
面接を受けることはどうか。
ほとんど該当しない。
にもかかわらず、私たちはそれを“結婚レベル”で扱う。
応募ボタンを、人生の分岐点のように扱う。
ここに認知の歪みがある。
一つ選ぶ=他のすべてを永久に失う。
しかし現実は違う。
選ばなかった未来が成功していた証拠は、どこにもない。
修正可能な選択
選択には種類がある。
やり直せる選択。
時間で戻せる選択。
お金で戻せる選択。
経験値だけが残る選択。
転職応募は、ほぼやり直せる選択だ。
ブログも、消せる。
発信も、修正できる。
多くの人は「取り返しがつく選択」を
「取り返しがつかない想像」で扱っている。
現実ではなく、妄想を根拠にしている。
だから止まる。
止まることの方が安全だと錯覚する。
だが止まると、何も更新されない。
小さく始めて、細かく方向転換する
成長の構造は単純だ。
やってみる。
現実のデータが手に入る。
解釈が修正される。
次の選択の精度が上がる。
止まっている人は、データを取りにいかない。
完璧な選択を探し続ける。
だが、完璧な選択は存在しない。
あるのは、仮説と修正の繰り返しだけだ。
映画の主人公のように退路を断つ必要はない。
現実は、仮説検証の連続だ。
今日できる一つ
いま迷っている選択を一つ思い浮かべてほしい。
そして、自分に問う。
「これは本当に人生を左右するか?」
ほとんどの場合、
左右するのは人生ではなく、自尊心だ。
応募ボタンを押す。
下書きを公開する。
問い合わせを送る。
人生は案外、粘土のように柔らかい。
固まっていない。
あなたが怖がっているのは、決断ではない。
物語だ。
そしてその物語は、やってみれば書き換わる。


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