迷ったとき、誰かに背中を押してほしくなったことはないだろうか。
先日、妻と一緒に媽祖様へ参拝に行った。往復で約2時間。神社や寺とは少し違う、独特の空気がある場所だった。参拝客は私たちだけで、静かな空間で落ち着いて参拝できた。
お香と紙銭(燃やすための偽物のお札)を購入し、いくつかの儀式を行う。そのあと、媽祖様に質問をする。今回聞きたかったことは一つだった。
現在もらっているA社の内定を承諾するべきか。
正直に言うと、私はある程度答えを期待していた。「それでいい」と背中を押してほしかった。しかし返ってきた答えは違った。
『NO』
今回は、この参拝で感じたことを書いてみたい。
想定していた答え
今回の参拝は、ある意味で「最終確認」のようなものだった。内定を承諾し、日本に帰国する。そう決めること自体は、合理的に見える選択だったからだ。
そもそもこの内定は、転職活動①|「8割」が分かった瞬間、スタートラインに立てたに書いたとおり、条件を決めて応募し、落ちて、また応募してようやく出た1社だった。だから余計に、手放す発想がなかったのだと思う。
もしそこで「YES」と言われていたら、私は迷いなく決めていたと思う。しかし出た答えは違った。
続けてもう一つ質問をした。転職活動を続けるべきか。答えはYESだった。
神様は答えをくれなかった
この結果をどう解釈するか。その場で感じたのは「答えをもらえなかった」という、少し意外な感覚だった。
もし神様が「この会社に行け」「その選択は間違いだ」とはっきり断言してくれたら、決断は簡単だった。しかし実際に返ってきたのは「今の内定は違う。でも就職活動は続けろ」という答えだった。
道は示されなかった。ただ、今の道だけは違うと言われた。
構造として見てみる
自分の中で整理してみる。私が考えていたのは、こういう一本道だった。
A社の内定承諾 → 日本帰国
決断すれば、道は一つになる。しかし今回の結果は違った。
A社は違う → 転職活動は続ける
一本道ではなくなった。今の道は違う。しかし次の道は自分で探せ。そう言われたような感覚だった。
神頼みは、決断の装置なのかもしれない
神様に相談する行為は、合理的ではないと思われることが多い。ただ、今回の体験を振り返ると少し違う感覚がある。
神様が答えをくれたというより、自分の思考が整理されたという感覚の方が近い。
人は迷ったとき、コイントスをすることがある。表か裏か。それ自体に意味はない。ただ、コインを投げた瞬間に「どっちが出てほしいか」自分の本音が分かる。今回の参拝も、少しそれに近い感覚だった。
振り返ると、私は「正解」を神様の外側に探していたのだと思う。しかし働き方に正解はなく、あるのは自分にとって壊れない条件だけだ。この考え方は幸福を壊さない働き方の条件で整理している。
まだ決断する段階ではないのかもしれない
今回の参拝で感じたことは一つだけだ。まだ答えは出ていない。
答えが出ないことは、少し苦しい。しかし同時に、無理に決めなくてもいいとも言える。今はまだ探索の途中なのかもしれない。
まとめ:小さな行動を積み重ねる
迷ったとき、人は答えを急ぎたくなる。しかし今回の出来事から一つだけ思ったことがある。答えが出ない時は、まだ決断する段階ではない。
だから今やることはシンプルだ。転職活動を続ける。もう少し探す。それだけでいいのかもしれない。
今回の参拝では、いくつかの質問をした。媽祖様との会話には独特の方法がある。その具体的なやり方や、行った儀式については神様に質問してみたにまとめている。
そしてもう一つ。今回の出来事で、選択肢はむしろ増えた。それは自由でもあり、同時に苦しさでもある。選択肢が増えると、人はまた迷う。
その迷いが本当に探索の途中なのか、それとも決めたくないだけなのかは、分けて考えたほうがいい。この構造は迷っているのではない、決めたくないだけ|決断できない時の対処法で整理している。
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