誠実でありたいと思うほど、決断が苦しくなる

停滞の正体

断るだけのことが、なぜこんなに苦しいのだろう。そう思ったことはないだろうか。

相手は時間を使ってくれた。親身に話も聞いてくれた。だから断ったら申し訳ない。頭の中では答えがほぼ決まっているのに、どうしても動けない。

私は今回の転職活動で、まさにこの状態に陥った。内定の判断、エージェントとの関係、面接を設定してくれた人の時間。考えるほど決断が重くなり、返事を先延ばしにしていた。

この感覚は昔からある。相手の好意や時間を無碍にすることが苦しくて、人と深く関わること自体をどこかで避けてきたところもある。

しかし今回、理由を掘っていくうちに気づいた。問題は自分の性格ではなく、「誠実」という言葉の使い方の方にあった。

今回は、この「誠実さと決断の関係」について書いてみたい。

誠実とは「相手の期待に応えること」だと思っていた

これまで私は、誠実とはこういうものだと思っていた。

  • 相手を裏切らない
  • 迷惑をかけない
  • 相手の期待に応える

つまり「相手の期待に応えること=誠実」という等式だ。

一見、良い価値観に見える。実際、社会の中ではこういう態度が評価されることも多い。

しかしこの考え方には、大きな問題がある。自分の決断が後回しになることだ。

相手の期待や感情を優先し続けると、自分の選択を決めることが難しくなる。今回の転職活動でも同じだった。自分の判断よりも先に「相手の期待をどう扱うか」を考えてしまう。その結果、決断がどんどん重くなる。

この構造を整理する中で、誠実には段階があるのではないかと思うようになった。

誠実さには3つの段階がある

誠実1.0:正しくあろうとする

相手を裏切らない。迷惑をかけない。期待に応える。

社会の中で最も分かりやすい誠実さだ。ただし、判断の基準は常に他人にある。相手の期待を背負い続けることになる。

誠実2.0:責任を持って決める

自分で判断する。その決断を引き受ける。そして相手に説明する。

ここでは基準が自分に移る。

誠実3.0:状況に応じて柔軟に振る舞う

人間関係も大事にする。しかし決断は先延ばししない。

相手への配慮と自分の決断、その両方のバランスを取る段階だ。

今回の出来事で気づいたのは、自分がまだ誠実1.0の状態だったということだった。だから苦しかった。

誠実な人ほど、決断を先延ばしにしてしまう

誠実1.0の状態では、こう考える。相手の期待、相手の時間、相手の好意。これらを裏切ってはいけない、と。

しかしこの構造には問題がある。相手のものまで背負ってしまうことだ。

相手の期待も、感情も、時間も、本来は相手の領域にある。そこまで自分が背負うと、決断ができなくなる。

ここで考え方を変える必要がある。

本当の誠実とは、相手の期待に応えることではない。自分の決断を引き受けることだ。

責任の数式を書き換える

もうひとつ気づいた構造がある。責任の数式だ。

これまでの私は、責任をこう計算していた。

自分の決断+相手の期待+相手の感情+相手の時間=自分の責任

相手のものまで全部足し込んでいた。だから苦しくなる。

しかし本来、責任の構造はこうだ。

自分の決断 → 自分の責任

相手の感情 → 相手の責任

相手の期待 → 相手の責任

ここを混同すると、人は動けなくなる。

断ったら相手はがっかりするかもしれない。怒るかもしれない。時間を無駄にしたと感じるかもしれない。それは事実かもしれない。しかし、それは私の責任ではない。

私の責任はただ一つ。自分の決断を引き受けることだ。

では、その決断の中身は何で判断するのか。私の場合は「何が得られるか」ではなく「何が削られるか」で見るようにしている。そこは幸福を壊さない働き方の条件に書いた。

今日からの行動ルール

誠実であろうとする人ほど、他人の責任まで背負ってしまう。だからこれからは、一つのルールを持つことにした。

決断で苦しくなったとき、自分にこう問いかける。

「これは誰の責任の領域か?」

決断は自分の責任。相手の感情と期待は相手の責任。この境界を分けるだけで、誠実さは少し軽くなる。

止まったときに「分ける」という発想自体は、決断以外の場面でも使える。事実と解釈と感情を混同して行動が止まる構造については、行動が止まる原因は「3つの混同」だったで分解している。

まとめ

誠実さは美徳だが、使い方を間違えると自分を縛る鎖になる。相手の期待に応えることを誠実だと定義している限り、決断はいつまでも他人のものだ。

思えば私は、他人の基準と自分の基準を混ぜる癖がある。成功と幸福を混同していたときも同じだった。そちらは幸福は設計しないと崩れるに書いている。

この考え方は、断るのが苦手で決断を先延ばしにしてしまう人には効くと思う。一方で、もともと自分の判断を優先できる人には当たり前すぎる話かもしれない。割り切りすぎて相手への配慮を失うリスクもある。境界を分けることと、冷たくすることは別の話だ。

誠実な人は、人を裏切ることを恐れる。でも本当に怖いのは、自分の人生を裏切ることかもしれない。

次に決断で動けなくなったら、まず一度だけ問いかけてみてほしい。「これは誰の責任の領域か?」と。それだけでも、少し体が軽くなると思う。

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